二千年前ロプノール湖のほとりで栄えられたとされる

幻の王国
楼蘭

                       楼蘭の仏塔  

1900年 探検家スウェン・ヘディンによって発見された

  中国大陸西部に横たわる世界で2番目に広いタクラマカン砂漠(タクラマカンとはウイグル族の言葉で入ると出られないを意味する) 




1934年ヘディンはゴムボートでこのメサに到着した
。 私達はラクダで・・

   

1998年冬 タクラマカン砂漠 500km 縦断の旅に出発

      トルファン〜ルクチン〜クルダーク山脈越え〜ロプノール〜楼蘭〜米欄まで食料・水・テントを駱駝に積み歩いた

砂漠の徒歩縦断は単調な毎日、日の出と共に起床し朝食を済ませ1〜2時間かけ駱駝に荷物を積み出発。

日没前まで歩き駱駝の荷を解き夕食を済ませ消灯。来る日も来る日もこうして時が過ぎていった。

目的地到着まで約1か月、お腹ペコペコ喉カラカラの毎日。日中40度を越す暑さ、夜は氷点下。

    大自然と向き合った辛い旅
。。。初めての経験ばかり・・・


毎朝、暴れる駱駝に荷物を積むヽ(^^ )  駱駝の口には餌袋をつけて

  キャンプの様子

 朝と昼はウマールさんの奥さんが焼いたナン。夕食はアルファー米を食べる。


           出発から15日目 楼蘭に辿り着く!


                              ↑住居跡
胡楊の建材は表面がひび割れ長い年月の流れが刻まれている

                                       三間房→
楼蘭王国の建国はいつのことかはっきりわからない。

漢代の記録によれば楼蘭王国全体で人口は2〜3万人を数えたという。

都、楼蘭城は、高さ約10mの仏塔を中心に、1辺310〜330mの城壁で囲まれていた。

仏塔の隣には高級な木造建物の跡、少し離れたところに漢の軍司令部だったらしい建物の跡がある。

この都には東西のキャラバン隊が集まった。

約1500年間、楼蘭王国はまったく忘却の彼方にあった。

再び楼蘭が脚光を浴びるのは20世紀の初めである。

スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンと、イギリスのスタイン隊が、

偶然にもほぼ同時にこの地を探検し、楼蘭をはじめとする多くの遺跡を発見・発掘した。
楼蘭を出発して5日目阿尓金山の雪解け水が流れる
湿地帯で駱駝の足が沈み怖がって歩かない 砂漠の砂が塩で真っ白に・・


                                              ’進化’して便利になった時代に生きる私達・・

                                     進化して失ったものもたくさんある。